後輩と付き合っていたことがある。4年の夏休みにはいってすぐの一週間だけ。
 その後輩は存分に変わっている子で、人間が嫌いだと、いつもいつもこぼしていた。生きている人間なんかに触れるのは吐き気がする、とも。
 なのに、私が彼と付き合うことになったのは、彼に告白されたからだ。私は彼をどちらかと言えば好いていたし、彼から、少なくとも話しかけられる程度には、嫌われてはいないだろうとは、思っていた。でも、まさかあの後輩から、そんな告白を受けるなんて、思ってもみなかった。
 私は告白を受け入れたものの、結局、一週間で別れることになった。別れを告げたのは、私から。
 理由は簡単。私は確かにあの後輩を好いているけれど、その好意は、こういう関係に帰結する種類のものではない、と結論したからだ。いつものように、絵を描きながらの会話の中でそれを告げると、後輩は朗らかに笑んで、頷いた。
 私たちはキスのひとつもしなかった。手を繋いだことすらなかった。それは私の気持ちだけじゃなく、後輩の態度にも原因があった、と思う。後輩は、私が絵を描いているとき以外は、きっちり距離をとっていた。だから、遅かれ早かれ、破局は来ただろう。どちらがいつ口火を切るかが、決まっていなかっただけだ。
 その後、私たちはただの先輩後輩に戻った。付き合う前と何も変わらない、仲の良い先輩後輩、という関係に。
 私は、そうなってしまってからも時々、後輩の告白の文句を思い出した。今でもまだ、もういない後輩の声を、思い出す。
 ――俺、先輩なら、好きになれる気がするんです。時間はかかるかもしれないけど、でも、いつかは。だからそれまで、先輩のとなりに居させてください。


 結局、あれから私たちの関係は何も変わらないまま、後輩の死という一方的な形で、終わりを告げた。病院の屋上からの、飛び降り自殺、だった。

 死の数週間前に、後輩は通り魔の被害に遭い、精神に異常をきたして入院していた。今思えば、その時点で、後輩の死は予測できていたのかもしれない。あんなに、生から目を背けていた後輩だ。一度、死に近づいてしまえば、止めるものなど何もなかったのかもしれない。
 私は、後輩が壊れたと聞いて、絵を描かなければいけない、と思った。いつも後輩の後ろに見えていたもの、極楽鳥の絵を。
 自分でも驚くほど早く描きあげたその絵を、病院の後輩に届けたとき、彼は私を分からないようだった。でも、以前と変わらないトーンで、私のことを先輩と呼んだ。生を忌避する言葉を吐いた。
 そして、私が知っている後輩はもう居ないのだと、悟った。なるほど確かに、彼は壊れていた。あのとき後輩は……絵を描いていないただの私に、笑いかけたのだから。

 私が彼に会ってから一週間後、後輩は、病院の屋上から飛び降りて、死んだ。
 鍵のかかっていた屋上から飛び降りた、という奇妙な事実がたくさんの人の目に留まったのか、彼の死は、一時大いに話題になった。でも、私にはもっと気になることがあった。あの部屋の鍵は、外からしか開閉できなかったのだ。もしかしたら私の訪ねた後に、部屋を移っていたのかも知れないけれど、何となく、そんなことはないだろう、と思った。
 後輩の訃報を伝え聞いて、私はまた、絵を描かなければいけない衝動にかられた。彼の死体が荼毘に付される前に、絵を描いて届けなければ、と。
 浮かんだイメージは、青い鳥だった。前と同じ種類、でも、春の空のような、柔らかで美しい青色に染まった鳥。色がイメージに浮かんだのは、随分久しぶりのことだった。私は、手持ちの写真を漁って、絵の具を混ぜ、なるべく、イメージと同じ色を作ろうとした。
 苦戦しながら、でも一日と少しで絵を描きあげた。すぐに、教師から聞き出していた後輩の自宅に向かった。
 それは、通夜の日のことで。私は夕方頃に、後輩の自宅に着いた。喪服で私を迎えてくれたのは、後輩の長兄だった。名前は後輩がよく口にしていたので、知っていた。実際に会ってみて、黒猫のような気高さとしなやかさに、感嘆した。
 一際後輩を可愛がっていたという彼に、自分の描いた絵を渡した。構わなければ、後輩に供えてほしい、と伝えて。彼は、目を丸くした後、ゆっくり、微笑んだ。それを見て、後輩がこの人を神様と崇めていた理由が、分かったような気がした。
 通夜と、葬式に招かれたけど、丁重にお断りした。私にその資格はないと、思ったから。これから先も、私は自分に、後輩に会いに行くことを、許さないと思う。
 実際、私はその日から一度も、後輩の実家に足を運んでいない。


 後輩の死から、もう3ヶ月がたち、季節は、すっかり次に移ってしまおうとしている。49日もとっくに終わった。彼はもう、根の国に着いた頃か。
 そんなに経っても、少しの後悔が、私を縛りつけている。あのとき後輩と別れなければ、後輩が変わるまで待っていれば。もしかしたら後輩は死ななかったんじゃないかって。もう、どうしようもない後悔が、私の首を絞めつけている。
 こんなこと誰にも言えなかった。きっと墓場まで、一生抱えていく秘密になるだろう。死人にくちなし。死者には何も出来ないし、死者とは何も出来ないのだ。
 そんな絶望感に苛まれ、ときどき眠れぬ夜を過ごす。そんなときは決まって、後輩に捧げた最後の絵、青い鳥を思い描く。せめて彼が最期に幸せであったと、信じるために。卑怯で矮小な行いだけど、私は、そう祈らずにはいられないのだ。


 あの鳥の絵以来、私はまだ、色の付いたイメージを、得ていない。



2011.08.30